うたかた。

小説散文ときどき日記

箱庭

 私は妖怪の主に飼われている。

 通学の近道をしようと路地に入り込み、迷い込んだ果てに辿り着いた、その不思議な世界。人食い鬼に追いかけ回されていた所をその気まぐれな主様に助けられた。

 人間を食べる生き物がたくさんいるこの世界で、どうして私を生かしてくれたのかはわからない。人間は食料か、憎むべき相手らしい。それはなんとなく周りの妖怪たちの私に対する接し方でわかる。けれど主さまは私に対してやさしく丁寧に扱ってくれているので、実は、主さまの初恋の相手に瓜二つとかいう理由ではないのかとこっそり思っている。

 

 

 主さまの住まう広大な屋敷は、行けども行けども果てがない。どうやら主さまが何かすごい力を使って空間そのものを捻じ曲げているそうだ。きいても更に意味がわからなくなるだけだった。けれど現実にどれだけ障子を開けても外にたどり着けない。ここは私にとってはなにもかも不思議なことばかりだ。

 

「おいで、」

 

 やさしく微笑んで呼びかけてくれる主さまはとても綺麗な人の姿をしている。黒鋼色の不思議な色の髪と、血のように赤い瞳。2メートルは超えているであろう大きな体。主様の周りにいる妖怪も人の姿をしている者が多い。どうやら人の姿に近い妖怪ほど身分の高く、強い妖怪のようだった。もともと人の姿なのか、人の姿に変じているのかはわからない。なんとなく、私は後者のような気がしているけれど。

 

「今日は何がききたい?」

 

 私を膝に乗せ、主様はその美しい顔で微笑む。この不思議な世界の不思議たちを、主様は嫌な顔一つせず丁寧に私に説明してくれる。機嫌よく私の髪を撫でているその仕草は、人が飼い猫にするそれのようだ。何か食べるかと主さまが引き寄せた器には、いろいろな果物やお菓子が入っている。何故かなすときゅうりもそこにあったのは、何か理由があるのだろうか。

 

「主様はなんの妖怪なんですか?」
「我らにそのような線引きもなければ、私に種族の名というものもない。彼らを統べるものとして生まれ、死ぬ。死ねば次の主が生まれる。それだけだ」
「ではあなた方は、なんなのでしょう」
「人の業と欲により忘れ去られし者」
「業……」

 

 なんだか今日の主様の言葉は難しい。一生懸命理解しなければと唸る私とは正反対に、主様は楽しそうに私の髪に指を絡めている。

 

「私がこの世界のみんなから嫌われるのは、その忘れてしまった側の人間だからなのでしょうか」

 

 主さま以外の方達は、どことなく他人行儀でよそよそしく、距離が遠い。目も合わせてくれない。そして極め付けは今朝、私の世話をしてくれた狐の女の人が、ぽつりと呟いた。忌々しい、と。

 

「人と我らは磁石のようなものだ。切っても切り離せないのに、必ず対極にいる。あるいは鏡のようなものか」
「あの、どういう……?」
「こちらの者は、人を好きな者も嫌いな者もどちらでもある者も、どちらでもない者もいる。愛してる者も、……憎んでいる者も。私は人がすきだよ」
「……ならば、いいのですが」

 

 髪を梳く手がやさしくて、触れている体温があたたかくて、私はずっと主さまに一番訊きたいのに、だからこそ一番聞きたくなくて、なかなかそれを言い出せずにいる。

 ……私は、元いた世界に帰れますか、と。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「業」「きゅうり」「磁石」https://twitter.com/3dai_yokai

邪気払い

「おは……どうしたの?」

 朝食の支度をしていると、琉偉が眠そうに起きてきた。今にも倒れそうな顔色をしている。その目の下にはがっつりと濃い隈が。テーブルについたと思ったらそのままずるずると突っ伏してしまった。

「んー……」
「何かあった?」
「いや、うん」

 琉偉が言葉を濁す時はだいたいあの世の人が関係している時だ。そしてそれは現在進行形で起こっていたりする。

「最近毎晩来て寝かせてくれないんだよ」
「おお」

 なんて情熱的な霊なんだと感心してしまったけどそれは恋人としてどうなんだろう。隣で爆睡してるからって私を差し置いて毎晩霊と逢瀬を重ねているだなんてと嫉妬するべきか。……いやちょっと違う気がする。

「……パンダみたいな隈のおっさんが毎晩天井からぶら下がってこっちをじっと見てくるんだよ」
「こわっ」

 情熱的だなんて思ってしまってすみませんでした。想像するだけで気持ち悪い。怖い。

「話しかけても答えてくれないし、無視して寝ようとすると金縛りしてくるし……どうしたらいいんだよ一体…………」

 ぐったりしている琉偉が哀れで、その頭をよしよしと撫でてあげた。どうやら一睡もできていないらしい。ここ数日元気がないなとは思っていたがそういうことだったのか。
生きている人と違って、霊は時間と場所を選んでくれないらしい。霊感がある人って大変だなぁと改めて琉偉の苦労を思った。

「今もいる?」
「いや、夜にしか来ない」
「今日休みだっけ。今のうちに寝る?」
「ん、そうする」
「じゃあ朝ご飯だけ食べておやすみ。やさしい紗夜さんが今日の家事当番を交代してあげよう」
「ありがと」

 

 

 


 紗夜が作ってくれた朝食を済ませて、俺はリビングのソファに毛布を持ち込んで眠り込んでいた。夢も見ずに爆睡して、ふとおいしそうな匂いで目が覚める。窓の外を見て愕然とした。もう日が傾いている。

「あ、ちょうど起きた」

 おたま片手にエプロン姿の紗夜が嬉しそうに振り返った。うきうきとした背中が何かを語っている。鍋のそれをお椀によそって、木匙と一緒に俺に差し出して来た。ほんのりあまい香りがする。

「……お粥?」
「そう、小豆粥。ちょっと早いけど、小正月に食べるんだって。健康祈願と邪気払いの縁起物」
「へぇ」

 白い米と小豆で作られるその粥は赤飯よりも色は白い。紗夜がそれにごま塩を振って、リビングのテーブルに色々と並べ始めた。今日はこのままここで食事をしろという事らしい。

「梅干しも魔除けなんだって。お酒は日本酒。おかずも一応色々作ったよ。デザートは桃ね、私が食べたかったからムースケーキにした!」

 多分俺が寝ている間に、夕食のメニューに悩んだのだろう。紗夜なりの精一杯の気遣いに、俺は思わず吹き出してしまった。

「紗夜のそういうところ、」
「ん?」
「すごくかわいいと思う」
「ねぇそれ褒めてる?微妙にバカにしてない?気のせい?」
「気のせい気のせい」

 小豆粥を一口掬って食べると、香りや紗夜の気持ちと同じように、あたたかくやさしい味がした。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「パンダ」「天井」「粥」https://twitter.com/3dai_yokai

シガレット

 おじさんは、私が保育園の時からママの恋人をしている。いつものちくちくのヒゲ。くたびれたシャツ。お酒は飲まないけど大のつく愛煙家とやらで、私の保育園のお迎えに咥えタバコで園内までやってきて先生に怒られたりもした。

 

「おかえり」

 小学校に上がっても、おじさんはときどき私を迎えに来る。学校近くのコンビニで、おじさんはタバコをふかしながら私が通りかかるのを待っている。それがすごく恥ずかしい。せめて見た目をもう少しどうにかしてほしい。

 友達や近所の人は、おじさんが私のパパだと思っている。けれど私のパパはずっと昔に事情があってママとわかれてしまったのだ。小さすぎて記憶にないけれど、それはそれは素敵なパパにちがいない。だって私のパパだから。私のパパは、こんな汚いおじさんじゃない。

「マリちゃんのお父さん、お仕事はしてないの?」
「ちゃんとしてるよ」

 友達のカヨちゃんが突然そう言い出したのに、私はこの人はお父さんじゃないということができないでいる。おじさんも否定はしてくれない。ママと結婚したいから。私のパパになりたいから。それはわかっている。私が本当は、どうすればいけないのかもわかっている。けれど本当のパパが私には別にいるのに。どうしてもそう思ってしまう。夢の中のパパはおじさんと正反対で、毎日スーツを着こなして、真面目で、眼鏡をかけているサラリーマンだ。

「一応、作家だよ」
「さっか?」
「小説を書いたり、映画やドラマのお話を考えたり」
「すごい!」

 すごくない。だってテレビでおじさんの名前をそんなに聞かないもの。そこそこ売れているという大人の言葉は、私にはどれだけすごいのかがさっぱりわからない。

 カヨちゃんが嬉しそうに、おじさんとつないでいる手をふる。私はなんだかそれにもやもやしてしまう。このもやもやをなんて呼ぶのかわからなくて、私は道端に転がる小さな石ころを蹴った。きっとカヨちゃんみたいな子が、ママの子だったらよかったのに。

 

「お菓子でも買って帰ろうか。はい、カヨちゃんも好きなのを買っておいで。」
「いいの!?」

 道の途中にある駄菓子屋さんで、ふとおじさんが立ち止まった。ズボンのポケットから取り出した100円玉何枚かを、私とカヨちゃんに渡してくれる。カヨちゃんははしゃいでぴょんぴょんと飛び跳ねながら、今度は私の手を引っ張ってお店へと駆け込んで行く。 

「マリちゃんはなにがすき?」
「うーんチョコレートかなぁ」

 小さなカゴに、金貨の形のチョコを何枚か、スナック菓子とガムを入れる。焼き菓子も悩む。たくさんのお菓子を見て回って、ふと私は見つけたお菓子を手に取った。おじさんが好きだというものと、同じ形をしたラムネ菓子。少しの間そのパッケージを眺めてから、私はそっとそれをカゴに入れた。

 

 お店から出ると、おじさんはやっぱり外でタバコを吸って待っていた。カヨちゃんはまだ、お店の中でスナックの種類で悩んでいる。
 私のパパは、絶対にタバコは吸わない。けれどそれは全部私の妄想で、そのパパは一度も私の前に現れてくれない。迎えに来てくれない。手をつないだり、抱っこしたりしてくれない。それは全部おじさんの役目だ。汚くても、臭くても、サラリーマンじゃなくても、やっぱりおじさんが私のパパに一番ふさわしい。だっておじさんはママを愛しているから。私を大切にしてくれるから。

 

 私はおじさんの隣に並んで、袋からそのシガレットラムネを取り出す。おじさんを真似て咥えてみると、甘い味が口に広がった。やっぱり偽物は、おじさんの煙臭さには程遠い。けれど少しだけ、おじさんに近づければいいなと思った。タバコを吸ってる時だけは、おじさんはとってもかっこいい。

「一本どう?」

 携帯灰皿でタバコを消したおじさんに、そのラムネの箱を差し出す。おじさんは声を出して笑いながら、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「愛煙家」「保育園」「ラムネ」https://twitter.com/3dai_yokai

どきどき追いかけっこ

 私はいつも、暇さえあれば斜め向かいの家に行く。物心ついた頃から第二の家のように通っている神代家には、珍しいオスの三毛猫がいる。
 そう、私はいつも猫を目当てに行くのであって幼馴染の琉偉は二の次だ。優しいおじさんとおばさん、かわいい三毛猫のミケに会いに行く。そしてお家にお邪魔してついでに琉偉と宿題をしたり、ゲームをしたり、テレビを見たり、ご飯を食べたりする。琉偉と一緒にいるのはついでだ。そこに琉偉がいるから一緒にいるだけだ。暇だから遊んであげてるだけだ。
 決して、ミケやおじさんおばさんをだしにちょっとでも琉偉と一緒にいたいだとか琉偉に会いたいだとかは大いにその通りなのである。例え琉偉が私を単なる幼馴染としか思っていなくても。

 

 いつものように、玄関を素通りして庭へ回ると、ミケは縁側で伸び伸びと日向ぼっこをしていた。

「ミケ!」

 お土産の猫じゃらしを片手に、私はミケにそっと近づいた。私に気づいたミケは嬉しそうに喉を鳴らしてくれる。ころんとお腹を見せてころがる姿がかわいい。特に冬の猫はころんとした丸いフォルムで、ふわふわで、ひなたぼっこであたたかくなった身体はそれはもう素晴らしい極上の手触りだ。猫最高。

 縁側にお邪魔して靴を脱ぎ捨て、一通りお腹の毛を撫でまわしていると、ふとミケが何かに気づいたように顔を上げた。じっと熱心に丸いかわいい瞳をそちらに向けているので、私もつられてそちらを振り返った。天井を見ているが、そこにはなにもない。もう一度ミケを見るが、視線はやっぱり私でも私の持つ猫じゃらしでもなく、天井を見ている。

「ミケちゃん……?」

 目の前で猫じゃらしを振ってみるが、やはりミケは反応をしてくれない。猫は霊感があるというが、本当だろうか。珍しいオスの三毛猫だし。そして何よりこの神白家は霊感一家で有名だ。なんだか背中に冷たいものを感じた瞬間、天井が突然、どんっと派手な音を立てて揺れた。

「うわぁああああ!」
「……琉偉?」

 音にびっくりしてミケと一緒に飛び上がると同時に、階段を転げ落ちるような音がする。その音が止んだと思ったら、今度はドタバタと派手な足音を響かせながら、琉偉が部屋の奥から廊下へ飛び出してきた。

「やばいやばいやばい!!」

 私を見つけて駆け寄ってくる琉偉に、ミケが毛並みを逆立てながら庭へ飛び降りて逃げていった。琉偉のあまりの形相に私も逃げたかったが、私の手をがっちりと掴んだ琉偉に阻止される。心臓が跳ねた。

「やばい逃げるぞ早く!」
「なにが……っちょっと靴!」

 庭に置いてあるサンダルを引っ掛けて必死に促す琉偉の勢いに圧されて、私も慌てて靴を履いた。片手を鷲掴みされているので履きづらい。もう片方も履き終わらないうちに琉偉が私を引っ張って走り出した。

「早く!」
「だからなにが!どうしたの!」

 琉偉の焦った声にこちらも自然と声の音量が上がる。琉偉の手がとても熱くて、じっとりと汗ばんでいた。琉偉の手って、こんなに骨張ってて大きかったっけ。容赦なく引っ張るこの腕力は。そしてそんなことよりも、首筋や背中にもびっしょりと汗をかいているのが嫌な予感。

「厄介なのに目つけられたみたい」
「はい?」

 首をかしげる私を余所に、琉偉はぐんぐん進んで行く。足、速くなったなぁと感心する。小学校低学年までは私の方がかけっこは速かったのに。そういえば背も、小学校高学年ぐらいまでは同じくらいだったのに、いつの間にか頭ひとつ分差ができている。

「一緒に来てっていうから断ったら怒っちゃって」
「誰が?」
「事故で死んだ女の人」
「どこに?」
「あの世に」

 俄かに、今までかわいらしくどきどきしていた心臓がばくばくと早鐘を打った。全身に鳥肌が走る。最後のは聞くんじゃなかったと後悔した。訊かなくてもよかった。いや、訊かないほうが怖い。つまり琉偉は今あの世の人から逃げてるというのか。……ああ、私もということになるのか。

「まだマシかもしれないからこれ持ってて」

 琉偉が私の手を掴んでる方とは反対の手の拳を差し出してくる。何かをずっと握りしめていたらしい。私の手のひらにぽとりと落とされたそれは真っ黒に変色した紙で、何かの燃え滓に見える。

「なに、これ」
「お札」
「怖……!なんで燃えてるの!」
「あの人が怒り出したら燃えちゃって」
「なんで!?」

 そんなものを手に持ってる方が怖い気がするのだが昔から霊感の強い琉偉が言うのだから本当にまだマシなのかもしれない。なにがマシなのだろう。呪い的なものだろうか。怖い。霊怖い。霊感少年怖い。

「とりあえず寺のおっさんのところ行くぞ!走れ!がんばれ!」
「肩重い気がする……」

「だろうねぇ」

「はい!?」

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「片想い」「燃え滓」「猫」https://twitter.com/3dai_yokai

キスにご執心。

「ねぇ琉偉知ってる?」

 学校からの帰りの電車で、突然隣に座る紗夜がこちらに乗り出してきた。勢いよく動くから彼女の持ってるリプトンのパックが溢れないかが気になった。

「何が?」
「キスするとストレスホルモンが急激に下がるんだって」

 そう言われてついうっかり唇に目がいった俺を許してほしい。放課後校門で合流した瞬間からずっとご機嫌斜めで、駅へ向かう途中に季節限定のリプトンを買ってあげた。その後もひたすら無言だったので、携帯見つめて何をしてるのかと思ったら。

「次うっかり担任に”私はこれが生まれ持った髪そのままですけど先生のは違いますよね?”って言いたくなったら琉偉にちゅーしにいくね」

 どうやら今日またクラス担任に髪の色が薄いことを指摘されたらしい。保護者の念書があっても日々日本人離れした茶色い髪のことをことあるごとに言われるらしく、それがストレスだとよくこぼしている。……曰く、お前はかつらのくせに、と。

「人前ではやめてね?」

 ちなみに俺は学生らしい節度を保った交際をしろと日々俺の担任に嫌味を言われている。俺は保とうとしてるんですけどねぇ……一応。

「物陰に引きずりこめばいい?」
「紗夜ちゃん男前ー」
「それほどでもー」

 唇から目をそらすために顔も一緒にそらしたら、少し遠くに座ってる大学生らしいお兄さんに一瞬殺意を持った目で睨まれた。ああ、爆発しろって思われてるなぁ。

「琉偉琉偉!愛情ホルモンも増えるんだって!試してみよ」

「うんわかったわかった。ここ電車だからね、人いるからね、」

「気にすんな気にすんな」

「降りたらねー!」

 そらすだけでは心許なくて鞄でガードした。そういえば、初キスも普通に紗夜にかっさらわれていった気がする。男としてそれでいいのかと情けなくなりつつも、相手はあの紗夜だからしょうがない。多分彼女に振り回されて生きるのが俺の運命だ。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「ホルモン」「電車」「キス」https://twitter.com/3dai_yokai

ホットチョコレシピ(二人分)

 私は料理が好きで、台所が好きだ。楽しくても悲しくても嬉しくても寂しくても、私は毎日ここで何かを作り、食べ、片付ける。手の込んだ料理の日もあれば、カップ麺やお茶だけの日もある。時には立ったまま、そこで牛乳を飲んだりアイスを食べたりする。それらは全て、私の心を落ち着かせてくれる。

 

 ざくざく。一定のスピードで包丁を動かして、ビターチョコレートを細かく刻んでいく。

 

 私は料理の中でも、包丁で食材を刻むのが好きだ。フードプロセッサーなんていらない。細かくなるまで、自分の気がすむまで、私はひたすら黙々と包丁を動かす。集中してる時とリラックスしてる時の脳波は同じらしい。たしかにこの時間はとても心地がいい。

 

 鍋に牛乳300ccをいれて、火にかけた。

 

 いつもはホテルでしか会ってくれない男が、今日は私の部屋へ来るという。うきうきとしていた気分は、板チョコをまるまる1枚分刻み終わった頃にはとうに落ち着いていた。もう、今日で終わりにしよう。男と会うのは最後にしよう。

 

 沸騰した牛乳に、細かく刻んだチョコレートを落とし込んでいく。

 

 男がくれる愛は、いつもチョコレートのように甘くて苦かった。
 甘いだけでは胸焼けがすると嘯いていた幼い私は、もうとっくにいない。あとに残る苦味も、もういらない。私は彼の一番には永遠になり得ない。夢を見せてもらったことには感謝している。だからこそ、このままで、美しいままで終わらせたい。

 

 全てが終わったら、今日は小説の主人公のように台所で眠ってみようかと思い立つ。毛布にくるまって、冷蔵庫の影でひっそりと。心ゆくまま眠ってみたい。素敵な夢が見られそうだ。

 

 どろどろに溶けたチョコレートに、とっておきの隠し味を垂らした。

 あとは生クリームとマシュマロを添えて、出来上がり。

 

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「ホテル」「チョコレート」「包丁」https://twitter.com/3dai_yokai

(隠し味はブランデーかラム酒がおいしいよね)

 

しりとり

「なぁ、しりとりしようぜ」

 

 突然隣で膝を抱えていた斎藤がそう切り出した。こんなに大勢人が集まっているのに知っているのはこの斎藤しかいない。
 いや、まだ知り合いがいるだけましなのか。避難所は人でごった返していた。娯楽もないここではたしかにそういう暇つぶしがいいのかもしれない。

 

「リス」
「スイカ」
「カラス」
「スズメ」
「メロス」
「すだらけだな……」
「なんだよもう降参か?」

 

 近くにいるおばさんが楽しそうにしている俺たちを恨めしそうに見た。その顔は煤と泥で汚れている。服もボロボロだ。命からがら逃げ出してここにたどり着いたのだろう。

 

「スルメ!」
「メダカ」
「カモメ」
「めんたいこ」
「コイ」
「インコ」

 

 そういえば、俺の家で飼っていたインコのサクラはどうしただろう。考えるまでもないか、きっと死んでしまっただろう。きっともう、家に戻ることもできない。

 

「こよみ」
「なんだそりゃ」
「いいだろ別に」
「ミミズ」
「ず!?ず、ず……随筆!俺天才!」
「うるせー。ツグミ
「ミミズク」
「ミミズクってなんだっけ」
「ふくろうだよ」
「クルミ」
「またみかよ!」
「ふっふっふっふ」
「ミサイル!」

 

 そう叫んだ瞬間、頭上で派手な爆発音がした。誰もが竦み上がり、連続して起こったそれに女性の悲鳴と子供の泣き声が続く。地下に作られたここは低音が特に響きやすい。きっと言葉通り、ミサイルがどこかに落ちた音だ。

 

「おい、そういう単語はやめようぜ」
「ごめん」
「る……ルリ」
「リンドウ」
「う…うなぎ」
「銀河」
「眼球」
「宇宙」

 

 今地上では、宇宙からやってきた変な生き物と戦争をしている。あいつらは人間を食う。母はそいつらに食い殺された。父は戦争に駆り出されている。多分死んだだろう。やつらはあまりにも数が多い。

 

「ウシ」
「死にたくない」

 

 突然の斎藤の言葉に、俺は思わずやつの顔を振り返ってしまった。多分、無理だということをここにいる誰もが知っている。

 

「ほら、いだぞ」
「生きたい」
「ああ」

 

 人間は負ける。やつらに食われるか、食料として保管され生きながらえるか、どちらかだろう。家畜と同じように。

 

「痛くないといいな」
「ああ」

 

 その言葉に、近くにいるおばさんや他の人が泣き叫び始めた。時間の問題だ。遅いか、早いか。最後の時間、案外楽しく過ごせたので、斎藤には感謝したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「ミミズ」「ミミズク」「ミサイル」https://twitter.com/3dai_yokai