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うたかた。

小説散文ときどき日記

夜明けを待つ背中

 一家心中の生き残り。それが俺という子供の、当時持つもの全てだった。誰もがかわいそうに、と俺の身体の傷痕を見て顔をしかめる。身体中に残ったそれが、両親が俺に残した唯一のものだ。それからというもの、自分に近づいてくる人間が、すべて興味本位であったり、安っぽい哀れみを向けて満足しているような人間ばかりに見えてしまった。友達も大人も、一歩隔てた向こうで生きている人間に見えた。誰もが遠くで、腫れ物を触るようにして、俺を見ている。

 深い落とし穴に、突然ひとりで落ちてしまったようだった。その頃から、人間が苦手になった。誰の好意も、厚意も、しんじられなくなった。全てがうすっぺらい膜で覆われていて、その下には俺を嘲笑ったり、人の噂話を面白がったり、俺を利用していいやつになろうとしているようにしか見えなくなった。
 明るくて、友達がたくさんいて、太陽の下外で遊ぶ遊びが大好きだった俺はいなくなり、誰とも遊ばずただ家に引きこもり、夜中にこっそりと起きてきて生活するような、夜の人間になった。

 親戚の家で世話になった俺は、高校をなんとか卒業すると同時に家を出て、小さな町の工場で働き始めた。給料が良かったので、夜勤専門の勤務についた。ひたすら金属を磨くという作業が自分に合っているように思えた。

 だがどんな場所にも人間関係はつきものだ。どこかの誰かからきいた俺の噂を、面白がるものもいればあえて距離を取る人間もいた。無駄な言葉で無駄に元気付けてこようとするやつもいる。いつものことだ。三者三様だが全て共通しているのは的を外れている、ということだろう。

「お前は人に対して興味を向けられない分、全力で物と向き合って、そして誰よりもいい仕事をしてくれる。お前の丹精込めて作った物を手に取る人は幸せだろうよ」

 強制参加の飲み会で、社長兼工場長は静かに俺をそう褒めてくれた。それを聞いた途端、見つけてしまった、と思った。人とあまり関わらない仕事でも、それでもそれは人のために働くということだ。それは人と関わるということだ。こんな俺でも、誰かの役に立っているのか。そしてそれが嬉しい、という
ことを、知ってしまった。

「お前は、両親の手間、幸せになっちゃいけないと自分を殺してるように見える。少しでもそういう前向きな感情を持つ自分を見つけるといつも慌てて消してしまう」

 ずっと真っ暗だった景色が、少しだけ変わりはじめていることに気づいてしまった。どれだけ抗おうとも。どれだけそれを願っていても。

「お前の人生はお前だけのもんだ。好きに生きろ。両親だろうがなんだろうが、もういない奴のことは、忘れていってもいいんじゃないか」
「今でも、目を開けたまま死んだ二人の顔を夢に見ます。その顔がずっと、暗闇から俺を見ているんです」
「…………」
「……たしかに俺は、今でも両親を愛しています。だからこそ、憎い」

 憎くて憎くて、恨んでいる。その二人の弱さを。葛藤を。俺を置いていったことを。連れて行ってくれなかったことを。ずっとずっと、もう声すら覚えていないのに、置いていたのは二人のくせして、夜の底で俺を見ている。俺の中の両親は、もうずっとそんな状態だ。恨めしいのは、一体どっちだろう。

「お前がその目を閉じさせて、静かに眠らせてやれ。お前がやらなくて誰がやるんだ」
「……こんな話、生まれてはじめてしました」
「奇遇だな、俺もだよ」

 そう言って苦笑する社長の顔に、かつての二人のやすらかな笑顔を思った。きっと事件からはじめてのことだ。夢に見ることはあっても、それが最後は二人の死に顔で潰されるから。想像してみるなんてことすらしなかった。酒の力を借りて、少しだけ泣いた。

 それはあまりにも深い夜だった。長くて、永くて、

「夜明けなんて一生、自分にとって縁のないものだと思っていました。」

 でもその瞬間はやってくる。夜明けはやってくるし、昼もまた巡ってくる。

 きっと俺は今日もまた、二日酔いに呻きながら仕事をするのだろう。どれだけ単調でも、その作業が面白くなくても、やりがいを感じられなくても、俺にとってそれら全てを感じて仕事をしていることそのものが、生きるということだ。

 

 

 

 

 

nina_three_word.

<夜明けなんて一生>

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夢渡り

三題噺

「おや、人間のお客さんとは珍しい」

 おお、アライグマだ。アライグマに話しかけられた。
 暗い空間を長い事歩いて、その巨大な水面にぶつかった。湖だろうか池だろうか。…流れがないけどもしかして川だろうか。岸にあげられたいくつかの小さな船に、二本足で立っている動物がくっついている。声をかけてくれたのはアライグマだったが、タヌキやレッサーパンダなんかもいる。それぞれが自分の体長の何倍もある櫂を背負っていて、愛らしい見た目と反して相当全員力持ちらしい。

「人はそもそも、こんな世界があることを忘れてしまったからね。覚えてるやつも少ない」
「お客さんは希少な存在ということですな」
「はは、俺は単なる変わりもんだよ」
「鬼の御仁に気を付けてくださいよ。あなたはとても旨そうな匂いがします」
「よく言われる。……往復したいんだけど君の船でできる?」
「勿論」
「運賃は何を払えばいい?」

 いつもこの交渉が厄介だなとこっそり思う。こちらの世界は人間の世界とは違って通貨がない。基本物々交換だ。

「身体の一部か、魂の一部です」
「……髪でもいい?」
「願ってもねぇ!」
「どれぐらいいる?」
「一握りで十分ですよ」

 アライグマに渡された小刀で一房髪を切り落とした。嬉々として受け取ったそれを、アライグマがそこの水で洗ってむしゃむしゃと食べた。……かわいいなりしてお前も人食いか。

「お客さんは何しにあちらへ?」
「迷子を迎えに」
「奇特な人もいるもんですなぁ」
「この世界の怪異に比べたらまだマシだけどね。あ、帰りはもう一人その馬鹿もよろしく」
「承知しました」

 船に乗り込むと、アライグマがその小さな手で器用に船を操作する。動画を撮りたいかわいさだが、どうせあちらに戻ったらデータが消えているだろう。ふと水面がうっすらと光を帯びているのに気付いて水面を覗き込んだ。

「おお、」

 そこにあったのは、空に浮かんでいるはずの満天の星だった。その輝きに照らされて、奇妙な生き物の影がちらほら見える。龍や蛇のようだ。

「もう運賃をもらってしまったので、渡す前に人魚に食われないでくださいよ」

 人魚もいるのか。つくづく面白い世界だ。俺が以前似たような水面をこちらで見たときは、覗いた人間の過去や未来が見える鏡のようになっていた気がする。どうやらその日によって変わるらしい。空のそれと同じだろうかと、俺の知った星座を探すが、そもそも見える星の数が圧倒的に違う。

「ほらもう着きますよ」

 ぐんぐん進む船からは、もう対岸が見えていた。目を凝らせば、岸に人影が見えた。体操座りで丸くなってるのは、間違いなく俺の目当ての馬鹿だ。だんだん近づくにつれて、そのぽかんと口を開けたアホ面に腹が立ってくる。

「おいこの馬鹿」
「……師匠」

 駆け寄ってきたそいつに船の上から拳骨を落とした。俺を迎えに寄越した彼女からの伝言だ。

「死人に肩入れするなっつったよな?」
「っすみませんでも、」
「でもじゃねぇ」

 もう一度、今度は俺の分としてぶん殴った。この馬鹿はまた死人とまともに口をきいて、まんまとこのはざまの世界に引きずり込まれたのだ。俺が通ってきたみたいな裏口でも使わないかぎり永遠に戻れない。そしてそれはつまり、まともに死ぬこともできない。なぜならこの湖は三途の川なんて大層なものではないからだ。

「帰るぞ」

 横倒しになったそいつの首根っこを掴んで船に引きずり込んだ。鬼がいなくて本当に良かった。琉偉の髪を勝手に切ってアライグマに食わせる。とっとと帰らないとこいつの身体の方がやばい。

「なんなんですか、これ」
「夢だよ。起きたら全部忘れちまえ」

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「世界」「櫂」「怪異」https://twitter.com/3dai_yokai

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桜の木の下で。

三題噺

 その人と出会ったのは、大きな公園の、噎せ返るような桜吹雪の中でだった。
 淡い色で埋め尽くされた美しい光景に、その人だけそぐわなくて、そこだけ世界が違うように見えた。……要するに、ものすごく汚いおっさんだったのだ。
 無精髭に、変な柄のシャツとカーディガン。下はジャージに古臭いサンダル。無造作に括ったぼさぼさの黒髪。おっさんは通路脇の公園のフェンスにもたれて、一人煙草を吹かしながらものすごい形相で桜を睨んでいる。
 俺はといえば花見に来ていた家族とはぐれてしまって、なのに知らないじいさんに付き纏われてうんざりしていた。そのじいさんは頭が抉れていたので、生きている人ではないのはわかっていた。

 目の前のヤのつく職業のような不審人物、背後から追ってくる気持ち悪い死人。生きてる人間も死んだ人間も両方怖い。静かにそっと通り過ぎようと思ったのに、その汚いおっさんがこちらを振り返って、俺は一瞬立ち尽くしてしまった。のがいけなかった。追いついたじいさんが俺の肩に手をかけた。氷のような冷たい感触が、触れたところから一気に全身を襲う。やばい。完全にやばい。

 完全に金縛りのように立ったままの状態で硬直した身体をなんとかしようと格闘してると、煙草を手におっさんがなぜかこっちへと歩いてきた。ずんずんとこっちに来る。めちゃくちゃ怖い。ごめんなさい今対応できません声が出ません誰か助けて!!

「去ね」
「!?ごほっげほ…うぇ!?」

 あろうことか、おっさんに煙草の煙を吹きかけられて思いっきり咽せた。顔を背けて、そこでやっと硬直が解けてる上に、背後のじいさんの気配が跡形もなく消えてることに気づく。

「悪い悪い、お前の後ろの奴を追い払ったんだよ。大丈夫か?」

 どういうことだと背後を振り返っていると、煙草のおっさんが俺の肩をぽんぽんと叩いた。にこやかな表情はさっきとは打って変わって人当たりが良さそうだ。肩に置かれた手が震えていると思ったら、震えているのは自分の方だった。そうこうしているうちに、ガタガタと歯の根も噛み合わないほどどうしようもなく身体が震えはじめた。ものすごく寒い。膝まで崩れそうになったが、おっさんのがっしりした腕が支えてくれた。

「当てられたな。……そこのベンチまで歩けるか?ほら、頑張れ」

 促されて、なんとか引きずるようにして進んだ。訳が分からないまま身体を動かしていると、すこし寒気が治まった気がする。辿り着いたベンチに座り込むと、おっさんが着ていたカーディガンを脱いで俺にかけてくれた。茶色い、くたびれた見た目と違って、きちんと洗剤のいい匂いがする。待ってろと言って去っていったおっさんが、ほどなくして缶ジュース片手に戻ってきた。

「熱いぞ」

 わざわざ買ってきてくれたらしい。甲斐甲斐しく面倒を見てくれる姿は、第一印象とは180度違うように思えた。だけど中学にもなってこんな扱いを受けるのは少し照れくさい。わざわざ開けて渡された缶をこぼさないように両手で持つ。缶の熱で手からすこしずつあたたまった。促されて口をつけるとものすごく甘くて、でもその甘さとあたたかさが全身に染み渡る気がした。有名な黄色いパッケージのミルクキャラメルをドリンクにしたものだ。

「……おじさんも、見えるんですか?」
「まぁね」

 さっきの、追い払ったという言葉を思い出す。煙草って魔除けの効果もあるのだろうか。…お香を焚いたりするからそれと似たようなものなのかもしれない。

「ああいうのとは、まともに会話しない方がいい。目も合わせてはいけない」
「……勝手に話しかけてくる場合は」
「姿が見えない声は聞き流せ」
「俺の守護霊っていう声もするんです」

 突然説教のようなものがはじまって、俺はなんだかムキになっていた。

「そいつはどんな事を言ってくる?」
「今日は焼肉を食べろだとか、赤い服を着ろとか」
「守護霊はそんな軽々しく話しかけてこない。無視しろ」
「守護霊っているんですか…?」
「いるよ。さっき君の守護霊が俺に頼んできたんだよ。桜の木の上からね」
「えっ」
「君が危ないから助けてくれって」

 身内と近所の住職以外で同類の、しかもこんなに詳しい人とこんな話をするのははじめてだった。しかも俺が今まで出会った人らと比べても、明らかに只者ではない。

「弟子にしてください!」
「弟子って……」
「俺にもっと、霊の事教えてください!」
「うーん」
「お願いします!!」

 衝動のままにがばりと立ち上がって、勢い良く頭を下げた。それが俺と師匠の、長い長い付き合いのはじまりだった。

 

 

 

 

 (妖怪三題噺様より「桜」「キャラメル」「偽物」https://twitter.com/3dai_yokai

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鬼も福も内にある

三題噺

「ねぇ琉偉、鬼っているのかな?」
「え……うちの母親?」
「そういうのじゃなくて」

 スーパーでの買い出しの途中、突然紗夜がそう呟いた。彼女の視線の先に、節分の特設コーナーで赤い鬼のお面が飾られていた。スーパーの恵方巻きが豪華で美味しいというので今日の晩御飯に買いに来たのだ。

「神様だのそういうのは俺じゃなくて師匠の専門なんだけど、前うちの母親に憑いてたんだよ」
「憑くの?」

 一気に紗夜の表情が「聞くんじゃなかった」というものになった。彼女が怖い話を忌避するのは、話すとそういうものが寄ってくるというのを無意識にわかっているからだ。

「俺が見たのは、父親の職場の女の人の生き霊だった。父親に片想いしていたらしいんだけど、嫉妬に狂った顔がまさに鬼の顔をしてた」

 ごくり、と紗夜が唾を大きく飲み込んだ。怯えているのがかわいい……かわいそうなのでそろそろこのへんにしておこう。

「紗夜のおすすめの海鮮恵方巻き、松竹梅ってあるけど、どれにする?」
「松!」
「豆は買う?前紗夜これ嫌いって言ってたけど」
「買う!食べる!」
「節分の豆まきはつまり邪気払いだからね」
「撒く!」

 紗夜がこんなにビビリだから、俺はずっと君には鬼なんかよりもっとものすごいとんでもないものが憑いてるんですよ、というのを言えずにいたりする。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「節分」「松竹梅」「母親」https://twitter.com/3dai_yokai

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緑の溢れる場所

 20代最後の誕生日の日、同棲していた男が他に女を作って部屋を出て行った。もう、この年齢の誕生日だなんて嬉しくもなんともない。誰かに祝ってほしいだなんて感情はとっくの昔に忘れた筈だったのに。

 怒りに任せて、玄関に残った男のサンダルをゴミ袋に突っ込む。次から次へと目につく男の物を放り捨てて行った。キーホルダー。靴下。Tシャツ。歯ブラシ。冷蔵庫に残っていた炭酸が抜けたコーラと謎のこだわりの天然水。こんなに大量に残していかないでほしい。全部処分してから出ていけ。

「これ、何ゴミだろ……」

 かなり前に、男が友人からもらったモアイの置物。玄関で埃をかぶっていたそれを手にとって、手のひらサイズなのに想像以上の重さにたじろぐ。石だろうか。石ってどうやって捨てればいいのだろう。そしてどうして私がそれに悩まないといけないのか。

 

 自治体のホームページでも見て処分すればよかったのに、気づけば私は小さなバッグに財布と携帯を入れて、そのモアイを手に家を出ていた。運悪く今日は仕事も休みだ。

 公園の砂場に置いてあったシュールでいいかもしれない、と公園に向かって、もう既に子供が何人かいるのをみて諦めた。あの輪に入って行って、突然モアイ像をくれるおばちゃんとか怪しすぎる。ちょっと遠くにいるママさんたちの視線もこわい。砂場は却下だ。

 次に浮かんだのは普通に川に捨てることだ。けれど街の川はコンクリートで固められていて、汚い水はモアイのいるところではない気がする。それでは単なるゴミだ。ならば綺麗な山の川ではどうだろう。岩と同じように、緑に囲まれて苔生すモアイ。素敵じゃないか。思い立つと同時に駅へと向かった。

 電車に乗り込んでから、モアイをそのままで持ってきたことに後悔した。バッグは小さすぎてモアイが入らない。膝の上のそれを遠巻きに、女子高生らしき二人が噂して笑っている。

 そもそもどうしてこんなことをしているのだろうか。変な女だと私も自分をそう思う。でもきっと一番は、どれだけ痕跡を消したからといっても、思い出の多く残る部屋にひとりでいたくなかったのだろう。せめて、今日だけは。

 終点で降りて、長い上り坂を登る。道路沿いに流れる大きな川を見つけて、その川に沿って歩いて行った。風が緑を揺らす音と、せせらぎの音が心地よい。川は川でも、もっと人目のないところがいい。日差しが強くなってきて帽子を持ってこればよかったと後悔した。深くなってゆく緑、その影が濃い場所を選んで歩く。そういえばお腹が減ったと気づいて、バッグから携帯を取り出すと時計は昼過ぎを指していた。途中で見つけた和食のお店へ入る。店員さんがちらりと私の手のモアイを見たが、気づかないふりをしてくれたのが有難かった。

 頼んだ親子丼は味が薄くて、お味噌汁と漬物がしょっぱかった。今の私にはお似合いな気がした。腹ごしらえを手早く終えて、また歩く。だんだんひとの視線なんて気にならなくなっている自分がおかしい。有名な神社を通り過ぎ、私はもっと整備されてない川を目指す。あまり人の手が入ってないようなところがいい。そういえば、男が好んで買っていた水はこの辺のものだったか。そんなしょうもないことを覚えている自分が虚しい。

 歩くことに疲れたのと飽きてきたとき、和風なお菓子屋さんを見つけたので入った。客が私以外にいなくて、大丈夫だろうかとこっそり思ってしまった。和三盆を使ったロールケーキと抹茶のセットを頼む。ほどなくして出てきたそれらに手を伸ばしていると、去ったと思っていた店員さんがまだそこにいた。

「……あの、」
「はい?」
「それ、一緒に旅してるんですか?」

 店員の男の子の視線が、私の傍に置いてあるモアイだと気づく。

「ああこれ、」
「すみません、ちょっと気になって」
「こんな像持って出歩いてるなんて変ですよね」
「いえ、その……」

 大学生ぐらいだろうか。頭をかいてどこか躊躇うような男の子の様子に、危ない女だと思われてるのだろうなぁと少し笑ってしまった。

「このモアイの居場所を探しに来たんです」

 うん完全に変な女だ。

「別れた彼氏が置いて行ったんですけど、ずっと部屋にあったものなのでそのまま捨てるのもしのびなくて。顔があるものって特にそういうの、怖いじゃないですか。……それで自然豊かな川なんてこのモアイものびのびできそうでいいかなぁって」
「そうなんですね」
「変ですよね」
「いえ、そんなことないですよ」

 慌てて繕うように次から次に言葉が口から出てしまった。更に挙動不審に拍車がかかっていないだろうか。

「あのよければなんですが、そのモアイ……貰いましょうか?」
「え?」
「目の前の川はまだまだずっと上流まであんな感じでコンクリートで舗装されています。今から山に入って自然豊かな川を探すなんて大変ですよ。それにあの……とても疲れてらっしゃるように見えたので。」
「……そうですね、疲れてはいますね」

 そういえば今日、はじめてまともに人の顔を見て話をした気がする。それだけでとても心が軽くなった気分だった。こっそりと話しかけてくれたこの男の子に感謝する。

「帰って休んでください」
「ありがとうございます」

 しゅるしゅると、肩の力が抜けてしまったような気がする。

「では一旦、預かっていただくというのは」
「もちろんです。ああ、お茶が冷めてしまいましたね申し訳ありません」
「いえ大丈夫です」
「いえいえ淹れ直してきますね」

 引き止める間も無く、店員さんは抹茶を手早く下げて行ってしまった。どうしようかと思いつつ、ずっと忘れ去られていたロールケーキに手を伸ばした。とても、やさしい味がした。

 店員さんに必ず取りに来ますと伝えて店を出た。下り坂ということもあったのだろう、来た時よりもずっとずっと足が軽くて、あっという間に帰路に着いた。

 帰宅する直前、街角で今朝別れた男を見つけてしまって、男に気付かれる前に早々にその場を立ち去った。今朝よりもずっと感情が揺れ動かないのは、あの川のせせらぎが耳に残っていたからかもしれない。

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「モアイ」「天然水」「街角」https://twitter.com/3dai_yokai

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欠け落ちた魂

三題噺

「お前さん!お前さんったら!」

 騒がしい声で叩き起こされて、俺は重たい瞼を上げた。知らない顔がふたつ、俺を覗き込んでいる。

「なんだぁ……うるせぇな」
「なんだいその言い草は!」
「いて!」
 
 女が俺の頭をはたいた。随分と口の悪い乱暴な女だ。泣き腫らした顔が折角の美人を台無しにしている。さっきお前さんと呼ばれていた気がするが、俺の聞き間違いか。

「あんた誰だい?」
「こんな時に何冗談言ってんだよ!!」
「冗談だぁ?」

 叩かれた頭を押さえながら起き上がろうとすると全身が痛んだ。もう一人のじいさんが俺の体を布団に押し戻して、あちこち具合を見ている。白髪の目立つじいさんは医者の格好をしている。どうやらここは診療所のようだ。あたりを見回していると、また拳が飛んできた。これ、頭は止しなさいとじいさんが小さく忠告するもののそれは俺の頭に振り下ろされた。

「いってぇ!」
「女房の顔を忘れたってのかい!!」
「女房?人違いじゃねぇのか?」

 女が信じられないものをみたように目を見開いたと思ったら、わぁ!と大声をあげて泣き出した。俺に女房?この美人が?何かの間違いじゃないのか。

「せんせぇ!」
「うむ、頭を打って記憶が混濁しているようだな」

 医者の話によれば、俺は梯子から落ちて数刻の間魂が抜けていたらしい。頭がずきずきするのは女に殴られたからだけではなかった。頭を触ると布が巻かれている。背中が特に痛いから、どうやら背中から落ちたのか。頭を下に落ちてたら命はなかっただろう。

「不幸中の幸いというやつですな。何はともあれ、目覚めてよかった」

 医者は記憶もそのうち戻るだろう、と言ったが、残念ながらその診療所で世話になっている間、俺はその女の記憶を思い出すことができなかった。

 

 

 

 

 

 女の名前はきよ、というそうだ。

「今日は退院のお祝いですからね、お前さんの好きなものばかり買ってきたよ!すぐ用意しますから、先生にもらったこいつでも食べて待っててくださいな」

 二人の家だという家にたどり着いて、そういって女が俺を机に座らせた。包みから取り出して皿に盛ったのは、鼠が丸まったぐらいの大きさの、白くて丸い物体だ。

「なんだいこりゃ」
「何って……饅頭ですよ」
「マンジュウ?」

 見ればわかるでしょう?よく食べてるじゃないですか。と言われてもわからない、というか知らない。どうやら俺の記憶はちぐはぐに抜け落ちているらしく、生活していてもわからないものがいくつかあった。困った顔をしている俺に気づいて、きよが丁寧に説明してくれた。

「ええ、小麦粉を練った生地で餡子を包んで蒸して作るお菓子ですよ」

 そのまま手に持って頬張るきよを真似て、俺も一口かじった。

「なるほど、こりゃうまい」
「お前さんは甘いものが好きですからねぇ」

 中に入っていたのは団子に乗っている餡子と同じものだった。生地はなんとも言えない食感だ。きよが煎れてくれた茶とよく合う。食べ進める俺に満足して、きよは土間の台所へと去っていった。食べ過ぎて夕飯が入らなくても困るので、饅頭は2つだけで我慢しておく。

「俺はこんな家に住んでいるのか……」

 手持ち無沙汰になって、辺りを見回した。どうやら俺には、ここ数年の記憶が特にないらしい。きよと所帯を持ってこの家に越してきたそうなのだが、一切がわからない。親父が大工で、俺もそれを継ぐため幼い頃から修業の身だったので、いま大工をしているというのは納得できるのだが。

「何言ってるんですか、お前さんがこの家を作ったんですよ」
「そうなのか!」

 そうか、そこまで俺も一人前になったのか。そいつぁもっともっと修業に励まねぇとな、と力んだところで、その奇妙な感覚に気づいた。俺が認識している月日から、何年もすっ飛ばして今の俺になっちまったということだ。まるで浦島太郎だ。そうこうしているうちに、魚の焼けるいい匂いがしてきた。

「はい、お待ち遠様」

 きよの並べる器のうち、またひとつわからないものがあった。

「この魚は、何て名前だ?」
「秋刀魚ですよ」
「さんま」
「お前さんが大のお気に入りの魚でね、脂が乗っていてとってもおいしいんですよ」

 心得たようにきよがそれは丁寧に説明してくれる。そのさんまの腹に箸を入れて、一口頬張った。小骨はあるが確かにうまい。

「すまねぇなおきよ、こんな面倒になっちまって」

 よく食う食べ物ひとつ、俺の好物だという魚、なのにどうして俺は覚えていないのか。好いて所帯をもった女だろうに、どうして俺に記憶がないのか。魂が一度抜けちまった時に、どこかに一部を置いてきちまったのか。きっともっと俺のわからない、知らないこともたくさん出てくるだろう。仕事だってきっと、”今”の俺では現場に戻っても支障が出るだろう。どうしたら失った思い出達を取り戻せるのか。

「何言ってるんですかお前さん。私が覚えてるからいいんですよ。ずっと一緒なんですから。思い出せなくったって、一緒にいれさえすれば、私がなんでも教えられますから。」

 得意げに胸を叩くきよに、なるほど、俺のが落っこちたとしても、きよのここにあるから問題ない、大丈夫と言ってくれてるのだ。本当によくできた女房をもらって、俺は本当に幸せもんだ。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「秋刀魚」「魂」「饅頭」https://twitter.com/3dai_yokai

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見分け方

三題噺

 仕事で帰りの遅い紗夜を気遣って、「今日は俺が冷蔵庫の物で晩御飯作るから」とSNSでメッセージを送っておいた。

 

「ただいま!ご飯何?」

 

 帰ってくるなり興味津々の彼女をとりあえず椅子に座らせて、俺はひとつひとつ料理を差し出す。今日は和食にした。

 

「まずは、小松菜の煮浸し」
「いただきま……ちょっと待て!これはほうれん草!」

 

 どうやら仕事に疲れてちょっと御機嫌斜めらしい。俺が差し出した皿を見るなり勢いよくツッコミが入った。

 

「根っこが赤いでしょ!あとほうれん草は葉っぱがギザギザした三角形、小松菜は丸くて楕円形です!」

 

 別の意味で叩きのめされた。

 

「うん、味はよし!」
「失礼いたしました」
「分かればよろしい。あとは?」
「湯豆腐」
「絹?木綿?」
「どっちがいいかわからないから両方入れた」
「こんなにたくさんいらない……でもおいしい」
「お褒めに預かり光栄です。えーと、カレイの煮付け?」
「正解!」
「よかった…」
「左ヒラメ右カレイっていうけど、口を見れば一目瞭然だよ。小さいおちょぼ口がカレイ、でっかい牙のある口がヒラメ」

 

 ご飯と味噌汁を出し、ご飯の水加減にダメ出しをされ、味噌汁に入ってる大根の切り方とだしの薄さに怒られたものの、なんだかんだ全部食べてくれた。

 

「俺、疲れた時って和食食べたくなるから作ってみたんだけど、慣れないことはしない方がいいな」
「……ありがとう、おいしかった。ごちそうさまでした」

 

 黙々と食べていた紗夜が箸を置いて、小さく両手を合わせた。次はもう少し怒られないように頑張ろう。

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「小松菜」「赤」「楕円」https://twitter.com/3dai_yokai

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