読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うたかた。

小説散文ときどき日記

白い虚空に眠る

三題噺

「蛇さん、ドーナツ、食べる?」
「食えるか!」

 

 何度言えば、こいつは俺に人間の食い物を与えようとするのをやめるのか。いや、今のこいつには前世の記憶がないから無駄なのか。

 

「神戸に修学旅行で行ってきたの。そのお土産」

 

 太い枝に腰掛け、投げ出した足をぷらぷらと揺らし、嬉しそうに明るく笑う。その瞳は、あの頃の寂しさを映さない。それが救いだった。

 

「船の形をしたホテルがあってね、夜景がすっごく綺麗だったよ」 

 

 再会したのは偶然だった。俺はある日、樹の上の方、枝葉に隠れた洞の中で心地良く眠っていた。熟睡してうっかり、たまたま、洞から垂らしてしまった尻尾をこいつに引きずりおろされたのだ。俺だったからよかったものの、そもそもそれが蛇の尻尾だと気づかなかったというのはどうなんだ。興味本位で何でもかんでも触って引っ張ってみるだなんて幼児か。いやまだガキだった。生まれ変わっても相変わらず間抜けなやつめ。

 

明石焼きをはじめて食べたんだけどね、すっごくおいしかった!」


 こいつは生まれ変わっても、俺を怖がらなかった。話も通じる。変な奴だ。俺と話ができる奴なんて、話しかける奴なんて同族でも滅多にいない。俺の森はとっくの昔に死んだ。もう俺は森の主ではない。誰もそれを覚えていない。誰も生き残っていない。…俺以外は。

 

「ねぇ蛇さん、きいてる?」

 

 俺を呼ぶその声は明るい。その面差しは一緒なのに、こいつはもう俺と同じ白じゃない。黒い髪、茶色い目。色味の強い肌。あいつがずっとずっと、心の底で望んでいたもの。他の奴に混じっても、もうあの頃みたいには見つけられない。もう特別扱いも、遠巻きにされることも、気味悪がられることも、仲間外れにされることもない。


 それがひどく、羨ましかった。

 

「煩い。俺は眠たいんだ」
「そっか、じゃあまた明日来るね。蛇さんおやすみ」

 

 そのまま呆気なくするすると樹を下りていくそいつに、俺は返事をしなかった。今のあいつには俺以外のたくさんの人間の友達がいる。そいつらと一緒にやるたくさんの遊びがある。そいつらとお揃いの制服とやらを着て、そいつらと一緒に学校とやらに行く。そしてその後、優しい両親のいる家に帰る。もう俺とあいつはなにもかも一緒じゃない。なにもかもが正反対になった。

 再会して、幸せそうな姿を微笑ましく思う。でも会うんじゃなかったと恨んだ。もうあの頃のあいつはいない。あいつであってあいつじゃない。俺だけが取り残された。いっそあいつのように、俺も忘れていられたらよかったのに。

 

「お前とお揃いが、なくなっちまったなぁ……しろ」

 

 その呼びかけに、返事をする声はもう、永遠にない。

 

 

 

(妖怪三題噺様より「神戸」「蛇」「ドーナツ」https://twitter.com/3dai_yokai

広告を非表示にする