禁断の果実
「ようこそおいでくださいましたお嬢様」
ああこれは夢か、とすぐに気付いた。真っ黒闇にスポットライトを当てた空間に、男が一人、立っていた。タキシード姿の男は顔に白塗りの、ピエロの化粧を施している。その男が被った帽子を手にとって、恭しく礼をした。
「はぁ……どうも」
ぱちくりと瞬きをしてから、夢なのにどうして瞬きができるのだろうと不思議に思う。夢だからなんでもできるのだろうか。しているつもりなだけなのかもしれない。自分の体を見下ろすと、白いテーブルクロスの敷かれた大きなテーブルを前に、黒いドレスを着て座っていた。私にも同じようにスポットライトが当てられていて、白く眩しかった。見上げても暗闇で天井は分からず、光源が視界を焼いただけに終わった。リアルな夢だなぁと自分の想像力に感心する。
「貴女様は選ばれた客人です。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
そう言い放ち掲げられたピエロの帽子は、くるりと一回転するといつの間にかシルクハットへと変化していた。そこからバサバサと白い鳩が飛び出していく。マジックショーなのだろうか。シルクハットから出てきたステッキから、更に花が飛び出す。テーブルを周ってこちらに歩み寄ってきた男が、恭しく私の髪と胸にそれを挿してくれた。真っ赤な薔薇。ほんのり青い芳しさまでリアルに再現されている。
「……すごい」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
男はまた元の位置に戻るとステッキを暗闇へと放り捨ててしまう。男が見せるように差し出した手へシルクハットを傾けると、赤いボールがいくつか転がり出てきた。男はシルクハットを被り直すと、そのボールでジャグリングを始めた。やはりピエロでもあるのだろうか。
「本日のお食事はこちらでございます」
「え?」
また一歩ずつ歩み寄ってくる男の投げているボールが、ひとつ頭上へ投げられる度に微妙に色と形が変化していった。あっという間にボールは全て林檎へと変わってしまった。私は思わず小さく拍手をすると、男はまた嬉しそうに礼を述べる。全ての林檎を頭上高く放り投げると、再び手に持ったシルクハットへと林檎が収まっていった。
「林檎といえばアップルパイ…いえ、タルトタタンはいかがでしょうか」
「嬉しい、大好きなんです」
「それはようございました」
男の腕がテーブルを払うように動くと、白いお皿とフォークとナイフが音もなく現れた。なんて楽しく面白い夢なのだろう。男がお皿にシルクハットを覆うように被せ、再び開くとそこには男の言葉通り、濃い赤色をしたタルトタタンが現れた。瞬く間に私の鼻腔が、焼きたての甘い香りで満たされる。いつの間にか男が手にしたアイススプーンが差し出されると、バニラアイスがその上に乗せられた。もう片方の手が更にちょんと鮮やかなミントを乗せてくれる。
「どうぞ、お召し上がりください」
焼きたてのタルトタタンに乗せられたアイスが、もう蕩けているのがたまらない。ナイフとフォークを手に取ると、男が親切に後ろから膝にナプキンを広げてくれた。
「いただきます」
最初の一口を切り分けるときの高揚感。アイスの溶けた部分をナイフで掬いその上へ塗るように乗せると、こぼさないようにそっと口へ運んだ。含んだだけて、口の中いっぱいに広がる甘さ。そしてほんのり酸っぱくほろ苦い。ワインとラム酒の香り。咀嚼もままならない程に味わい、私はゆっくりと時間をかけてそれを飲み込んだ。
「……おいしい、おいしいです!」
「ありがとうございます」
「こんなのはじめて……」
今までに食べたことのないほどの美味しさだった。あたたかいものとつめたいものの組み合わせは最高だと思う。あたたかいタルトやパイにアイスを乗せるのは本当に幸せだ。逆にアイスに熱いコーヒーや紅茶をかけて食べるアフォガートも大好きだ。
「では次はアフォガートにいたしましょうか」
ピエロのにやりとした笑みが嬉しそうに首をかしげた。今私は口に出していただろうか。まぁ夢なのだからなんでもありなのかもしれない。ナイフを差し込むとじんわりとしたたる赤い汁に、私はうっとりと二口目を口に運んだ。今までに口にしたことのないような魅惑的な、甘美な、禁断の味。……もしかして、血の味に似ているのかもしれない。
その夢を、毎夜見るようになることも、起きている間ずっと狂うような、内臓を虫が食むような空腹に襲われることも、私はまだそのときは知らず、ただただ、幸せだった。
(妖怪三題噺様より「林檎」「ボール」「帽子」https://twitter.com/3dai_yokai)