十八歳、海の底。
男は、私を片腕に抱いて眠っている。触れあっている剥き出しの肌はまだ、十分な熱を持っていて、しっとりと濡れていた。二人でくるまったタオルケットごしに、時折吹き込む冷房の風が心地いい。
男の寝息に合わせて、ゆっくりと呼吸をする。目を閉じて、長いことそれを続けても眠れなくて、私は諦めてぼんやり、その男を眺めた。
海で生きる男らしい、少し傷んだ褐色の肌。陽射しで色の抜けた髪。それと同じ色の、バサバサの睫毛。整った鼻筋、かさついた唇。まだ若さを残す、彼の華奢でしなやかな体には、均等な筋肉がついている。私の頭を支える腕が辛くないよう、起こしてしまわないよう、そっと寝返りを打って、そしてそのために眠れないのだとやっとそこで気付いた。
男が唯一くれたやさしさですら、私はうまく受け取れていない。
自嘲の笑みが、ひとつぽろりと零れおちた。
そもそも島に辿り着いたのがもう夜遅かったので、外がもうほんのり明るくなりはじめていた。濃く青い光が部屋中を照らしているのが綺麗だった。静かで、安らかで、まるで海の底みたいで。海の底の、淀んだ場所。流れ着いたものが、最後に辿り着く死に場所。
幸せで、幸せで、そして、死にたい。
苦しくて、狂おしくて、今すぐその海で溺れることができないのなら、首でも吊って窒息したいと思った。今すぐ楽になりたい。これほどまでの苦痛と幸福が混ざり合ったものが、この世にあるのだと知った。
熱はもう完全に冷え切っていた。肌寒さすら感じるけれど、触れている体だけはあたたかい。男もそうだったのか、寝ぼけて私を引き寄せた。
またひとつ、私の弱さが溢れておちる。
熟睡している男は、腕が濡れても気付かない。男の腕の産毛までもが金色に灼けているのを眺めながら、その男の手を取ってそっと指先に口付けた。それでも胸は震えることもなく、喉からは嗚咽もこぼれなかった。ただ静かないとしさが、残るだけ。こんなにも、こんなにも堪え難い幸せがあるのか。
男は、私の体しか愛してはいない。もっと言うなれば、脚の間の、その器官だけ。心は、気持ちは、感情は必要とされていない。すきだとか、かわいいとか、甘い言葉に従い縋ったのは私の弱さだとわかっている。酷使された体の軋みは、心があげている悲鳴のようだ。疲労よりも痛みが強すぎて、もう限界なのはわかっていた。腕枕ややさしい言葉なんかで補われるものよりも、奪われていくものの方が、どうしようもなく大きかった。
なのに私は、その腕から抜け出せずにいる。そのぬくもりから、離れられずにいる。
自分の愚かさを呪い、浅ましさを恨んだ。
みっつ目の自責が、こぼれ落ちていく。
これで終わりにしよう、と決めたのに最後だからもう少しだけ、と囁く馬鹿な自分がいる。もう空の闇は薄まって、青白くなろうとしていた。
海の底は、もう消える。
男の手を離し、親指の付け根に口付ける。
頭を上げて、枕にしていた肩と二の腕に口付ける。
いちばん最後に触れたくちびるは、お互いに乾ききっていた。音も、温度も、ない。
もう、こぼれるものはなかった。 それが私の最後の儀式だった。
私が服を身に付けている間に、男が私に背を向けるように寝返りを打った。それが全ての答えだった。ひとりで部屋を出て、白く明るい場所へと抜け出した。
道に迷いながら歩いていたのに、それでもすっきりとした気分だった。そっと波の音に誘われるように、深夜の記憶を頼りに坂を下る。
来る時は、ぽっかりと深い底なしの闇だった海も、白い光に照らされて、きっと帰りはとても綺麗だろう。