うたかた。

小説散文ときどき日記

「さようなら。」

 今日の一番は、恋人から届いた「俺たちの関係を考え直そう」というメッセージがはじまりだった。深夜に送られていたそれに、どういう意味かと問う返信をしたが既読がつかずにいる。胸の内に煙のようなものがもやもやと立ち上りはじめた。

 

 次に、この冬一番の寒さを記録したというのに電気ストーブが壊れて使えなくなった。最近効きが悪くなっていて、なかなか部屋をあたためてくれないとは思っていたが、今朝何の前触れもなく電源を入れてもつかなくなってしまった。込み上げてくるような寒さに震えながら制服に袖を通す。かじかんだ指がうまくいうことをきいてくれない。冷えた身体に冷たい服を羽織りながら、タイミングの悪さを恨んだ。

 

 霜で一面うっすらと白く染まった景色を歩く。建物の合間遠くの山並みもどこかぼやけていて、少しだけ濁ったフィルターを通して世界を眺めているようだった。全ての輪郭が定まらなくて、綺麗だなと他人事のように思った。

 

 音楽を聴こうとして、鞄に入れているはずのイヤフォンが見当たらないことに気付く。どこかで落としてしまったのだろう。恋人とお揃いで買ったものだったので、余計にこのタイミングでいなくなったそれが憎らしい。

 

 職場へ到着すると、後輩の起こした重大なミスで社員全員が対応に追われて走り回っていた。あっけにとられる間もなく私も同じように駆り出され、不機嫌極まりない上司の舌打ちと八つ当たりを、取引先からのたくさんの小言を、クライアントからの叱責をただ胸にしまいこむ。泣きじゃくる後輩を慰め、宥めながら昼休憩をとる間もなく急き立てるように働いた。空きっ腹にコーヒーだけを流し込んだせいで、吐き気のような胃の重さを感じる。……否、ストレスかもしれない。同僚の差し入れてくれたチョコレートがひどくしみた。

 

 仕事を終えた帰り道、ふと思い出して携帯を取り出した。待受に表示されたいくつかの通知の中に目当てのものが見つからず、それ以上なにかを開くこともなく再びしまい込んだ。お腹は空いている気がしてるのに食べたいものも思い当たらず、作る気にもなれず、客も商品もガラガラのコンビニで適当に弁当を買った。疲労で足が重い。それ以上に、胸の内に溜め込んだ何かが、暗くのしかかる。

 

 家に辿り着いたときに、壊れたストーブを思い出したがどうしようもない。私はコートのままで部屋中を捜し回るが、やはりというかイヤフォンは見つからなかった。代わりに見つけてしまったのは、お気に入りの椅子の布地に付いた黒い染みだった。
 こういう時はどうすればよかったんだっけ。濡らした雑巾を当ててこすってみるものの、染みが滲んで広がっただけだった。アンティーク調の暖炉を模したストーブも、好きなキャラクターを模ったイヤフォンも、この水色のリラックスチェアも気に入っていたのに。

 

 しかたない、と口の中でつぶやいて、まったくそう思っていない自分にやっと気付いた。


 私が何を思っていようと、どうしようもできないことはわかっている。わかっているのに、しかたないと言って割り切ることが実はできていない。そうやってあきらめることができていない。何もかもが悔しくて、憤ろしくて、なのにそれを誰にも、物にすら思うことができていない。


 そんな自分にどうしようもなく腹が立って、私はコートのポケットから携帯を取り出した。恋人当てに、たった5文字とひとつを打ち込んで送信する。

 

 今日の中で、はじめて少し自分を認めることができた気がした。

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「ストーブ」「椅子」「イヤフォン」https://twitter.com/3dai_yokai