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うたかた。

小説散文ときどき日記

深淵の人魚

三題噺

 学校のプールには人魚が住んでいる。けれど人魚は誰にでも見えるわけではないらしい。人魚に出会うためにはいくつかの条件が必要で、プールに来る時に決まった道順を辿らないといけない。それでもいる時と、いない時がある。
 人魚がいる時は、プールの水が淡く青緑色に光っているように見える。冬でも人魚がいる時はその水がいっぱいに満ちていて、プールのカルキ臭さではなく、潮の匂いがする。

 

「こんにちは人魚さん」
「あら、こんにちは拓弥くん」

 

 また出会えたのが嬉しくて、僕はプールのふちへと駆け寄った。人魚さんは楽しそうに踊るように優雅に泳いでいる。人魚さんが体をくねらせて泳ぐたびに、体の鱗が光る水面に反射してきらきらと七色に光る。とっても綺麗だ。校長先生自慢の50メートルプールだって、人魚さんはあっという間に端から端へ辿り着いてしまう。

 

「ねぇ人魚さん」

 

 僕は人魚さんとお話しをするのが大好きだった。

 

「人魚さんとイルカはどっちが早く泳げるの?」
「そうねぇ…友人のフレディと競争した時は私が勝ったわ!」
「そういえば、人魚さんの名前は?」
「特にないの。拓弥くんの好きに呼んで」
「ええ、困るよ」

 

 人魚さんは本当に綺麗な女の人で、長い魚の下半身を持ってる。髪がその魚の尻尾よりもうんと長くて、綺麗な蜂蜜色をしている。瞳はエメラルドグリーンだ。

 

「人魚さんはどうしてここにいるの?」
「水は全部私のお庭だから。水さえあればどこにでも繋がっていられるの」

 

 なんでも答えてくれるのが嬉しくて、僕はいつもたくさん思いつく限りの質問をしてしまう。よくわからない答えが返ってきても、人魚さんとおしゃべりできるのが嬉しかった。

 

「人魚さんの鱗は、恋の薬になるって本当?」
「あら、なあにそれ」
「クラスメイトのりかちゃんが教えてくれたんだ。人魚の鱗を粉末にして飲めば、恋が叶うんだって」
「ふふふ、そしたら人魚姫は鱗を王子様に飲ませてしまえばよかったのにねぇ」
「でも人魚姫は人間になってしまったんだから、もう鱗がなかったんだよ」
「拓弥くんは頭がいいのね」
「そ、そんなことないよ!」

 

 


 次の日の学校で、僕は我慢できずりかちゃんに人魚の鱗が薬にはならないことを言ってしまった。りかちゃんとその友達の女の子数人に証拠はあるのかと問い詰められて、僕は言葉に詰まってしまう。確かめたわけでもないし、恋の薬になるという証拠も、ならないという証拠もなかった。

 

「ねぇ、根拠は何?その証拠は?」

 

 ……人魚さんに証言してもらおうか。
 ふと思い立ったそれに僕は頭を横に振った。僕は人魚さんの存在を僕だけの秘密にしておきたかった。人魚さんを一人占めしたかった。他に友達ができてしまったら、人魚さんは僕とはもう遊んでくれなくなるかもしれない。

 

「口から出任せばっかり。うそつき」

 

 女の子たちに囲まれて教室の隅に追いやられ、他のクラスの子達が少し離れたところで注目している。僕はこの状況に耐えきれずに、ついてきてと言って校庭へ向かった。正確には、その先のプールへ。

 

「学校のプールに人魚がいるんだ」

 

 僕を先頭にして、りかちゃんとその友達、さらにその後におもしろそうだと集まった野次馬数人がついてくる。りかちゃんが僕をずっとうそつきうそつきと呼んでいて、僕はだんだん腹が立ってくる。いつものように校庭の隅の倉庫とフェンスの間を進んで、鉄棒をなみ縫いのようにじぐざぐに進む。ぶらさがった遊具のタイヤを8の字に潜って、ようやくプールへと向かった。僕の奇妙な行動に後ろの人たちがうるさかったけど、気にしない。

 そこに人魚さんはいなかった。

 

「…なにもいないじゃない」
「今日はいないけど、いる時もあるんだ!」
「やっぱり拓弥くんはうそつきね」
「こんなこったろうと思ったよ」
「さっきの変な行動といい、拓弥、頭おかしいんじゃねぇの」

 

 集まったみんなが口々に僕を罵る。僕は何も言えなくてしまって、ただ深く俯くだけだった。どうして今日に限って出てきてくれないんだよ。頼むよ人魚さん。予鈴がなって、ぞろぞろとみんなが教室に戻っていくけれど、僕はなんだか足に根が張ったように動くことができなかった。

 

「どうして泣いているの?」

 

 ぽつりとプールの床に涙がひとつ落ちた瞬間、その声は聞こえた。振り返ると、プールの縁にかけた両腕に顎を乗せて、人魚さんが僕を見上げていた。

 

「人魚さん、皆が人魚なんていないって言うんだ」
「私はいるわ」
「りかちゃんの方が大うそつきなのに、僕の方をうそつき、ほらふきって言うんだ」
「みんな、私のことが見えないからよ。見えないものは信じないの」
「人魚さんは僕にしか見えないの?」
「君以外に見える人もいるわ。でもとっても少ないの。拓弥くんみたいな見える人はとっても貴重なのよ。」

 

 おいでおいでと手招きをする人魚さんに誘われて、僕はそっと人魚さんの前に膝をつく。伸びてきた手が、僕の濡れた頬を撫でた。冷たい水の感触がする。

 

「あなたは選ばれた特別な存在なのよ。でもあなたがつらいなら、私の存在は二人の秘密にしましょうね」
「……僕、もう教室に戻らなきゃ」
「明日も来てくれる?」
「うん、」
「じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」

 

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「鱗」「タイヤ」「プール」https://twitter.com/3dai_yokai

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