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うたかた。

小説散文ときどき日記

緑の溢れる場所

 20代最後の誕生日の日、同棲していた男が他に女を作って部屋を出て行った。もう、この年齢の誕生日だなんて嬉しくもなんともない。誰かに祝ってほしいだなんて感情はとっくの昔に忘れた筈だったのに。

 怒りに任せて、玄関に残った男のサンダルをゴミ袋に突っ込む。次から次へと目につく男の物を放り捨てて行った。キーホルダー。靴下。Tシャツ。歯ブラシ。冷蔵庫に残っていた炭酸が抜けたコーラと謎のこだわりの天然水。こんなに大量に残していかないでほしい。全部処分してから出ていけ。

「これ、何ゴミだろ……」

 かなり前に、男が友人からもらったモアイの置物。玄関で埃をかぶっていたそれを手にとって、手のひらサイズなのに想像以上の重さにたじろぐ。石だろうか。石ってどうやって捨てればいいのだろう。そしてどうして私がそれに悩まないといけないのか。

 

 自治体のホームページでも見て処分すればよかったのに、気づけば私は小さなバッグに財布と携帯を入れて、そのモアイを手に家を出ていた。運悪く今日は仕事も休みだ。

 公園の砂場に置いてあったシュールでいいかもしれない、と公園に向かって、もう既に子供が何人かいるのをみて諦めた。あの輪に入って行って、突然モアイ像をくれるおばちゃんとか怪しすぎる。ちょっと遠くにいるママさんたちの視線もこわい。砂場は却下だ。

 次に浮かんだのは普通に川に捨てることだ。けれど街の川はコンクリートで固められていて、汚い水はモアイのいるところではない気がする。それでは単なるゴミだ。ならば綺麗な山の川ではどうだろう。岩と同じように、緑に囲まれて苔生すモアイ。素敵じゃないか。思い立つと同時に駅へと向かった。

 電車に乗り込んでから、モアイをそのままで持ってきたことに後悔した。バッグは小さすぎてモアイが入らない。膝の上のそれを遠巻きに、女子高生らしき二人が噂して笑っている。

 そもそもどうしてこんなことをしているのだろうか。変な女だと私も自分をそう思う。でもきっと一番は、どれだけ痕跡を消したからといっても、思い出の多く残る部屋にひとりでいたくなかったのだろう。せめて、今日だけは。

 終点で降りて、長い上り坂を登る。道路沿いに流れる大きな川を見つけて、その川に沿って歩いて行った。風が緑を揺らす音と、せせらぎの音が心地よい。川は川でも、もっと人目のないところがいい。日差しが強くなってきて帽子を持ってこればよかったと後悔した。深くなってゆく緑、その影が濃い場所を選んで歩く。そういえばお腹が減ったと気づいて、バッグから携帯を取り出すと時計は昼過ぎを指していた。途中で見つけた和食のお店へ入る。店員さんがちらりと私の手のモアイを見たが、気づかないふりをしてくれたのが有難かった。

 頼んだ親子丼は味が薄くて、お味噌汁と漬物がしょっぱかった。今の私にはお似合いな気がした。腹ごしらえを手早く終えて、また歩く。だんだんひとの視線なんて気にならなくなっている自分がおかしい。有名な神社を通り過ぎ、私はもっと整備されてない川を目指す。あまり人の手が入ってないようなところがいい。そういえば、男が好んで買っていた水はこの辺のものだったか。そんなしょうもないことを覚えている自分が虚しい。

 歩くことに疲れたのと飽きてきたとき、和風なお菓子屋さんを見つけたので入った。客が私以外にいなくて、大丈夫だろうかとこっそり思ってしまった。和三盆を使ったロールケーキと抹茶のセットを頼む。ほどなくして出てきたそれらに手を伸ばしていると、去ったと思っていた店員さんがまだそこにいた。

「……あの、」
「はい?」
「それ、一緒に旅してるんですか?」

 店員の男の子の視線が、私の傍に置いてあるモアイだと気づく。

「ああこれ、」
「すみません、ちょっと気になって」
「こんな像持って出歩いてるなんて変ですよね」
「いえ、その……」

 大学生ぐらいだろうか。頭をかいてどこか躊躇うような男の子の様子に、危ない女だと思われてるのだろうなぁと少し笑ってしまった。

「このモアイの居場所を探しに来たんです」

 うん完全に変な女だ。

「別れた彼氏が置いて行ったんですけど、ずっと部屋にあったものなのでそのまま捨てるのもしのびなくて。顔があるものって特にそういうの、怖いじゃないですか。……それで自然豊かな川なんてこのモアイものびのびできそうでいいかなぁって」
「そうなんですね」
「変ですよね」
「いえ、そんなことないですよ」

 慌てて繕うように次から次に言葉が口から出てしまった。更に挙動不審に拍車がかかっていないだろうか。

「あのよければなんですが、そのモアイ……貰いましょうか?」
「え?」
「目の前の川はまだまだずっと上流まであんな感じでコンクリートで舗装されています。今から山に入って自然豊かな川を探すなんて大変ですよ。それにあの……とても疲れてらっしゃるように見えたので。」
「……そうですね、疲れてはいますね」

 そういえば今日、はじめてまともに人の顔を見て話をした気がする。それだけでとても心が軽くなった気分だった。こっそりと話しかけてくれたこの男の子に感謝する。

「帰って休んでください」
「ありがとうございます」

 しゅるしゅると、肩の力が抜けてしまったような気がする。

「では一旦、預かっていただくというのは」
「もちろんです。ああ、お茶が冷めてしまいましたね申し訳ありません」
「いえ大丈夫です」
「いえいえ淹れ直してきますね」

 引き止める間も無く、店員さんは抹茶を手早く下げて行ってしまった。どうしようかと思いつつ、ずっと忘れ去られていたロールケーキに手を伸ばした。とても、やさしい味がした。

 店員さんに必ず取りに来ますと伝えて店を出た。下り坂ということもあったのだろう、来た時よりもずっとずっと足が軽くて、あっという間に帰路に着いた。

 帰宅する直前、街角で今朝別れた男を見つけてしまって、男に気付かれる前に早々にその場を立ち去った。今朝よりもずっと感情が揺れ動かないのは、あの川のせせらぎが耳に残っていたからかもしれない。

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「モアイ」「天然水」「街角」https://twitter.com/3dai_yokai

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