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うたかた。

小説散文ときどき日記

夢渡り

三題噺

「おや、人間のお客さんとは珍しい」

 おお、アライグマだ。アライグマに話しかけられた。
 暗い空間を長い事歩いて、その巨大な水面にぶつかった。湖だろうか池だろうか。…流れがないけどもしかして川だろうか。岸にあげられたいくつかの小さな船に、二本足で立っている動物がくっついている。声をかけてくれたのはアライグマだったが、タヌキやレッサーパンダなんかもいる。それぞれが自分の体長の何倍もある櫂を背負っていて、愛らしい見た目と反して相当全員力持ちらしい。

「人はそもそも、こんな世界があることを忘れてしまったからね。覚えてるやつも少ない」
「お客さんは希少な存在ということですな」
「はは、俺は単なる変わりもんだよ」
「鬼の御仁に気を付けてくださいよ。あなたはとても旨そうな匂いがします」
「よく言われる。……往復したいんだけど君の船でできる?」
「勿論」
「運賃は何を払えばいい?」

 いつもこの交渉が厄介だなとこっそり思う。こちらの世界は人間の世界とは違って通貨がない。基本物々交換だ。

「身体の一部か、魂の一部です」
「……髪でもいい?」
「願ってもねぇ!」
「どれぐらいいる?」
「一握りで十分ですよ」

 アライグマに渡された小刀で一房髪を切り落とした。嬉々として受け取ったそれを、アライグマがそこの水で洗ってむしゃむしゃと食べた。……かわいいなりしてお前も人食いか。

「お客さんは何しにあちらへ?」
「迷子を迎えに」
「奇特な人もいるもんですなぁ」
「この世界の怪異に比べたらまだマシだけどね。あ、帰りはもう一人その馬鹿もよろしく」
「承知しました」

 船に乗り込むと、アライグマがその小さな手で器用に船を操作する。動画を撮りたいかわいさだが、どうせあちらに戻ったらデータが消えているだろう。ふと水面がうっすらと光を帯びているのに気付いて水面を覗き込んだ。

「おお、」

 そこにあったのは、空に浮かんでいるはずの満天の星だった。その輝きに照らされて、奇妙な生き物の影がちらほら見える。龍や蛇のようだ。

「もう運賃をもらってしまったので、渡す前に人魚に食われないでくださいよ」

 人魚もいるのか。つくづく面白い世界だ。俺が以前似たような水面をこちらで見たときは、覗いた人間の過去や未来が見える鏡のようになっていた気がする。どうやらその日によって変わるらしい。空のそれと同じだろうかと、俺の知った星座を探すが、そもそも見える星の数が圧倒的に違う。

「ほらもう着きますよ」

 ぐんぐん進む船からは、もう対岸が見えていた。目を凝らせば、岸に人影が見えた。体操座りで丸くなってるのは、間違いなく俺の目当ての馬鹿だ。だんだん近づくにつれて、そのぽかんと口を開けたアホ面に腹が立ってくる。

「おいこの馬鹿」
「……師匠」

 駆け寄ってきたそいつに船の上から拳骨を落とした。俺を迎えに寄越した彼女からの伝言だ。

「死人に肩入れするなっつったよな?」
「っすみませんでも、」
「でもじゃねぇ」

 もう一度、今度は俺の分としてぶん殴った。この馬鹿はまた死人とまともに口をきいて、まんまとこのはざまの世界に引きずり込まれたのだ。俺が通ってきたみたいな裏口でも使わないかぎり永遠に戻れない。そしてそれはつまり、まともに死ぬこともできない。なぜならこの湖は三途の川なんて大層なものではないからだ。

「帰るぞ」

 横倒しになったそいつの首根っこを掴んで船に引きずり込んだ。鬼がいなくて本当に良かった。琉偉の髪を勝手に切ってアライグマに食わせる。とっとと帰らないとこいつの身体の方がやばい。

「なんなんですか、これ」
「夢だよ。起きたら全部忘れちまえ」

 

 

 

 

(妖怪三題噺様より「世界」「櫂」「怪異」https://twitter.com/3dai_yokai

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