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うたかた。

小説散文ときどき日記

老人と睡蓮、魚たち。

夢日記

 夢の中で、あまり声を出してはいけないと禁じられているおじいさんと会った。

 まるで天女のような美しい女性が、淡々とした声で本来は会話も禁じられていますが、とそっと私をおじいさんの元へ促した。

 どうやらおじいさんに付き従う世話役の人らしい。

 

 ……本来、というのなら、私には許されているということだろうか?

 

 案内されて進む不思議な造りの建物は、日本家屋のようでも、中国の寺院のようにも見えた。

 女の人の着ている服もやっぱり古い神話に出てくるような格好だった。
 私より背が高く、全体的にほっそりとしている。
 顔は日本人形のようだった。すらりとしたひな人形のような。

 感情のない言葉はそっけなくも少し不満そうでもあった。
 どうしてそんな特別な人に、私みたいな平凡な人間が会わせてもらえるのだろう。

 私に特別な何かがあるのだとしたら、私とおじいさんは遠い血縁でもあるのかもしれない。

 なぜだかふと、そう思った。

 

 さっきまで階段を登っていたはずなのに、通路の脇の開かれた大きな窓をくぐると、そこはバルコニーではなく広い庭になっていた。
 やっぱり古い日本の庭のようでも、中国の風景のようでもある、不思議な空間だった。空は淡い桃と紫色、水色と黄緑のグラデーションをしている。

 

 おじいさんはその庭の中心にある小さな池の側の岩に座って、針を付けずに釣りをしていた。
 ゆったりと静かに、私がそっとそばに寄っても穏やかな表情で池を眺めている。
 池には白と桃の睡蓮が咲いていて、揺れる水面を覗くと色とりどりの鯉や金魚、名前の知らない淡水魚たちが優雅に泳いでいた。

 

 はじめて会うおじいさんだったのに、そのおじいさんをとてもよく知っている気がした。
 とても懐かしい感じがした。

 

 私はどうしようもなく、無性にこのおじいさんにいろんな話を聞いてもらいたくなったけれど、話しかけられずにいた。
 たくさん話したいことがあった気がした。相談したいことがあった気がした。
 けれど言葉が出てこなかった。
 何も言葉にしてはいけない気がした。

 

 穏やかに流れる時間の中、ただのんびりと静かに過ごしていた。その綺麗な池を一緒に夢中で眺めていると、おじいさんがふと、ゆるやかに口を開いた。

「垂らした釣り糸のその先が知りたいなら、ただその時を待たなければ」

 何も言いも、訊きもしていないのに、今日はいい天気だねぇと言うように、おじいさんは制限されたその声を私に使ってくれた。まるでちゃんとわかってるよ、と言ってもらえたようだった。

 

 低く響く声が染み渡るように、いつの間にか私はぽたぽた池に涙を落として波紋を作っていた。
 自分がどうして泣いているのか分からないけれど、ただただ、嬉しかった。
 私はただずっと泣きたかったのか。
 それを許してくれる人のそばで。

 

 なにも話さずともおじいさんはきっと私のことを全部知っていて、そしてわかってくれているのだろう。ゆるしてくれているのだろう。
 この人は私の全てを見守ってくれている人だ。そして私を心配してくれているのだ。
 やっとわかった。
 だから私もおじいさんも言葉はそれしかいらなかった。

 

 睡蓮は魚の泳ぎで気持ちよさそうだったのに、私の涙には少し不満げに揺れた。
 金や赤、青に黒、そして白い鯉と金魚が、降ってくるしょっぱい水に何事だと様子を伺うように集まってきて、その体やヒレがぴちょぴちょちゃぷちゃぷと水面を更に揺らす。
 その姿が、きらきら光る水面があんまり綺麗で、私は絞り出すように声を上げて泣いた。

 

 おじいさんはそれ以上何も言わなかったけれど、ここにある全てのものたちがただとてもやさしくて、あたたかかった。
 目を合わせても、触れあってもいないのに。たくさんの会話を交わしたわけでもないのに、私の全てを包み込んでくれていると思った。全てを赦し、愛してくれているのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 目が醒めると私はやっぱり泣いていて、驚くほどに心が軽くなっていた。
 これほど月日が経っても覚えている鮮明な夢なのに、私は目覚めた瞬間から、おじいさんの顔も体型も服装も思い出せない。
 ヒゲは生えてなかったような気がする、髪は薄いかまったく生えてなかったかな、程度だ。
 背はずっと座っていたから分からない。
 けれどそういうものなのだろうと思う。
 でもきっとまた会えばすぐにあのおじいさんだとわかるだろう。
 あのやさしいおじいさんに見守ってもらえているのなら、これからもたくさんのことを頑張れると思った。
 そしていつかまたあの場所で、あのおじいさんに会いたい。

 

 

 

(2016/03/08)