うたかた。

小説散文ときどき日記

14歳、失敗作

「お母さんが悪かった。甘やかしすぎた。育て方間違えたわ。失敗した。」

 

 学校へ行きたくないと言う私に、母はそう詰って泣いた。登校しぶりの理由を知った母がもう学校へ行かなくてもいいよと言ってくれた翌日だった。母は私の将来を悲観しているのだ。そして引きこもりになった娘の面倒を年老いてなお見続ける未来を嘆いている。だから学校へ行く私を見て安心したい。私の母はその日の気分で言うことがコロコロ変わる人だ。わかっていたのに、わかってもらえないことが哀しかった。

 

「お前がお腹にいるって分かった時、産ませるかどうか悩んだ。すでに生活がぎりぎりだった。それを母さんが産ませてほしいと俺に頭を下げて頼んできたからお前はここにいるんだ」

 

 部屋で泣いていた私に、やってきた父が静かに淡々とそう告げた。フォローしにきたつもりだったのだろう。けれど落ち着き払ったその声が、逆に決定的な何かを私に突き付けた。生活が苦しいのでもう子供はほしくなかった。けれどうっかりお前がお腹にできてしまった。堕ろすという罪も背負いたくなかったので仕方なく産んだ。確かにうちは貧乏だった。当時は今と違って、年に数回とないマックはご馳走だった。 

 

 4人兄弟の末っ子の私は、幼い頃から「お前だけはいい子でいてね。お前だけが頼りだ」と言われて育った。その言葉通り、いい子でいようとずっと努めて生きていた。早く大人になりたかった。いい子だね、大人びているね、周りの大人からそう褒められるのが誇りだった。長姉のように泣かない、次姉のように騒がない、兄のようにわがままを言わない。兄弟の誰よりも言うことをきちんときいて、お手伝いをたくさんして、いつでもどこでもおりこうさんの私。 

 そういうものが全部、無駄だったのだとわかった。両親は手のかかる子供の方がかわいかった。兄や姉たちは私とは違う、作りたいから作り、産みたいから産んだ子供だから。愛されていないといえば嘘になる。けれどいつもいつも虚しくてさみしかった。家族の中で、私一人だけ仲間外れにされてるとずっと思っていたのはこれだったのだと、納得した瞬間でもあった。

 

 対象をコロコロと変えたいじめやいやがらせの繰り返される部活を辞め、いじめられっ子を私がグループに引き入れた事によりぐちゃぐちゃになったクラス替えを機に、学校へはきちんと行くようになった。早く仕事に就きたいと思った。そうして子育てのせいでお金がない生活費がないとことあるごとに嘆く両親の口を黙らせたかった。

 お金を稼いで、仕方なく産んで育てたのにもかかわらず失敗作となった私ができる両親への仕返しが、失敗作ではなくなることだった。

 

  その目標通り、結婚して家を出た兄弟たちを尻目に、定年を迎えて収入の激減した両親に代わって家計を支えている。私が結婚して家を出るときには、兄弟4人で分担して仕送りをすることになっているけれど、残念ながらまだそちらの予定は立ちそうにない。