うたかた。

小説散文ときどき日記

桜の木の下で。

 その人と出会ったのは、大きな公園の、噎せ返るような桜吹雪の中でだった。
 淡い色で埋め尽くされた美しい光景に、その人だけそぐわなくて、そこだけ世界が違うように見えた。……要するに、ものすごく汚いおっさんだったのだ。
 無精髭に、変な柄のシャツとカーディガン。下はジャージに古臭いサンダル。無造作に括ったぼさぼさの黒髪。おっさんは通路脇の公園のフェンスにもたれて、一人煙草を吹かしながらものすごい形相で桜を睨んでいる。
 俺はといえば花見に来ていた家族とはぐれてしまって、なのに知らないじいさんに付き纏われてうんざりしていた。そのじいさんは頭が抉れていたので、生きている人ではないのはわかっていた。

 目の前のヤのつく職業のような不審人物、背後から追ってくる気持ち悪い死人。生きてる人間も死んだ人間も両方怖い。静かにそっと通り過ぎようと思ったのに、その汚いおっさんがこちらを振り返って、俺は一瞬立ち尽くしてしまった。のがいけなかった。追いついたじいさんが俺の肩に手をかけた。氷のような冷たい感触が、触れたところから一気に全身を襲う。やばい。完全にやばい。

 完全に金縛りのように立ったままの状態で硬直した身体をなんとかしようと格闘してると、煙草を手におっさんがなぜかこっちへと歩いてきた。ずんずんとこっちに来る。めちゃくちゃ怖い。ごめんなさい今対応できません声が出ません誰か助けて!!

「去ね」
「!?ごほっげほ…うぇ!?」

 あろうことか、おっさんに煙草の煙を吹きかけられて思いっきり咽せた。顔を背けて、そこでやっと硬直が解けてる上に、背後のじいさんの気配が跡形もなく消えてることに気づく。

「悪い悪い、お前の後ろの奴を追い払ったんだよ。大丈夫か?」

 どういうことだと背後を振り返っていると、煙草のおっさんが俺の肩をぽんぽんと叩いた。にこやかな表情はさっきとは打って変わって人当たりが良さそうだ。肩に置かれた手が震えていると思ったら、震えているのは自分の方だった。そうこうしているうちに、ガタガタと歯の根も噛み合わないほどどうしようもなく身体が震えはじめた。ものすごく寒い。膝まで崩れそうになったが、おっさんのがっしりした腕が支えてくれた。

「当てられたな。……そこのベンチまで歩けるか?ほら、頑張れ」

 促されて、なんとか引きずるようにして進んだ。訳が分からないまま身体を動かしていると、すこし寒気が治まった気がする。辿り着いたベンチに座り込むと、おっさんが着ていたカーディガンを脱いで俺にかけてくれた。茶色い、くたびれた見た目と違って、きちんと洗剤のいい匂いがする。待ってろと言って去っていったおっさんが、ほどなくして缶ジュース片手に戻ってきた。

「熱いぞ」

 わざわざ買ってきてくれたらしい。甲斐甲斐しく面倒を見てくれる姿は、第一印象とは180度違うように思えた。だけど中学にもなってこんな扱いを受けるのは少し照れくさい。わざわざ開けて渡された缶をこぼさないように両手で持つ。缶の熱で手からすこしずつあたたまった。促されて口をつけるとものすごく甘くて、でもその甘さとあたたかさが全身に染み渡る気がした。有名な黄色いパッケージのミルクキャラメルをドリンクにしたものだ。

「……おじさんも、見えるんですか?」
「まぁね」

 さっきの、追い払ったという言葉を思い出す。煙草って魔除けの効果もあるのだろうか。…お香を焚いたりするからそれと似たようなものなのかもしれない。

「ああいうのとは、まともに会話しない方がいい。目も合わせてはいけない」
「……勝手に話しかけてくる場合は」
「姿が見えない声は聞き流せ」
「俺の守護霊っていう声もするんです」

 突然説教のようなものがはじまって、俺はなんだかムキになっていた。

「そいつはどんな事を言ってくる?」
「今日は焼肉を食べろだとか、赤い服を着ろとか」
「守護霊はそんな軽々しく話しかけてこない。無視しろ」
「守護霊っているんですか…?」
「いるよ。さっき君の守護霊が俺に頼んできたんだよ。桜の木の上からね」
「えっ」
「君が危ないから助けてくれって」

 身内と近所の住職以外で同類の、しかもこんなに詳しい人とこんな話をするのははじめてだった。しかも俺が今まで出会った人らと比べても、明らかに只者ではない。

「弟子にしてください!」
「弟子って……」
「俺にもっと、霊の事教えてください!」
「うーん」
「お願いします!!」

 衝動のままにがばりと立ち上がって、勢い良く頭を下げた。それが俺と師匠の、長い長い付き合いのはじまりだった。

 

 

 

 

 (妖怪三題噺様より「桜」「キャラメル」「偽物」https://twitter.com/3dai_yokai